父のオーストラリア留学

あまりいい思い出ではないのですが、私の父が私の中学生3年生の頃にオーストラリアのキャンベラの大学に留学をしました。
大学は法学部だったものの、それまでは特に法律の仕事をするでもなかった父が、ある日突然オーストラリア留学してしまいました。
もちろんいろいろな流れがあったのだろうと思いますが、まだ中学生でその上部活にしか興味のなかった私には、前触れなく父が留学してしまった印象が残っています。
後から話してくれた母によると、この父の留学の意志を聞いた時には本当に途方にくれたそうで、母にも寝耳に水の事件だったようです。
しかし、父のたっての希望であったことと、時代もまだバブルからそんなに時期を置いていなかった為に、母もどうにかなるのではないかと思い、家族を日本においての留学に許可を出したのだそうです。
父の留学中は、いきなり母子家庭になってしまいました。父が留学している間は父はお金を稼いでくれないので、母が働きに出ていました。父はフリーランスで仕事をしていた為、全て自費での留学でした。
預金をはたいて留学費を捻出したため、私たちの生活費は母が稼がなければならない状況になりました。
働いて疲れて帰ってくるのを見ているうちに、私は学校から帰宅してからご飯を炊いたりと、日曜にまとめて家の掃除をしたりと、家事を自発的に手伝うようになりました。
父の留学が終わる頃、私は母と2人でオーストラリア旅行をしつつ、最終的に父と合流して日本に帰ってくる、という旅に出ました。
お金がなかったのに、どうやってオーストラリア旅行なんて行ったのだろうと不思議に思い、かなり経ってから聞いてみたところ、ヤケになって借金して旅行に行ったんだと母は笑って話してくれました。
当時の旅行自体も楽しかった記憶があります。母と2人でオーストラリアをうろうろと回り、やっとキャンベラについて、父と再会した時、私は母が涙ぐんでいることに気づきました。
彼女の中に父が留学している間に様々な気持ちがあって、それは不満や不安や、決して明るいものではないものが多かったのだろうと思いますが、それが一気に溢れていくところを見たのだと思います。
父と無事合流し、父自身も無事に留学を終えて、私達は日本に帰ってきました。
その後、やはり父は法律とは関係ない職に戻りましたが、それでも留学の頃に得た知識を生かして、現在も働いています。英語がネイティブのように話せる事が彼の強みです。英語を盾にして、定年を過ぎた今でも再就職を果たし、現役で会社員を務めています。
また、バイクが好きでハーレーを乗り回している父ですが、留学している間にハーレーがあったら、オーストラリア中走っていたのにな、と言っていましたが、父の留学中に本当に苦労をしていた母には聞かせられない話です。

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